前回、国産初のストーマ装具〈ラパック〉のご紹介をしました。
今回は、〈ラパック〉が開発された経緯についてご紹介します。
国産初のストーマ装具は看護師さんの一言から
国産初のストーマ装具〈ラパック〉は、国立がんセンター(現:国立がん研究センター中央病院)の看護婦長(当時)だった今村勢子さんからの要望がきっかけで開発されました。
今村さんは国立がんセンターに入職する以前の1961年から64年まで、がん看護を学ぶためにアメリカやイギリスに留学をなさいました。そこで、初めてストーマ装具を目にするとともに、ストーマ装具を使って不自由なく日常生活を送っているオストメイトの姿を目の当たりにしました。
留学を終えて帰国した今村さんは、1962年に開設された国立がんセンターに入職し、運命的にも泌尿器科関連病棟の看護婦長として勤務することになりました。
そこで、ストーマを造設した入院患者さんのケアに携わることになりましたが、当然、海外の病院のようなストーマ装具はなく、ストーマにガーゼを当てて、その上に厚いオムツを重ねて、2時間おきに取り換えるケアしかできなかったそうです。皮膚かぶれもひどく、2時間おきのガーゼ交換で安眠もできない患者さんを見て、「日本でもアメリカの病院で見たようなストーマ装具が絶対に必要だ」と強く思い、留学先で知り合ったアメリカの友人を通じて1枚のストーマ装具を取り寄せました。
そして、当時、国立がんセンターに出入りしていた有限会社東京衛材研究所(現:アルケア株式会社)の社員に、「不幸な思いをされている日本の患者さんのために、国産のストーマ装具を作ってください」と、その熱い思いを伝えたことがきっかけとなり、国産初のストーマ装具開発が始まりました。
思いを受け取り、試行錯誤の末に
当時の東京衛材研究所(現:アルケア株式会社)にとってストーマ領域は、全く未知の領域でした。そのため、何度も今村さんのところに通って、がんやストーマについて教えを乞い、時には入院中の患者さんのベッドサイドで直接お話を伺うことを繰り返しました。
たった1枚の見本と今村さんや患者さんからのお話を元に、試行錯誤を繰り返した末に〈ラパック〉が発売されました(1965年8月15日)。
当時は、今のような自動の製造設備はありませんでした。
市販の布絆創膏にゴム糊を塗って、〈ラパック〉のビニール袋に貼り付け、謄写版用のローラーで圧着していたそうです。
開発当初の謄写用ローラーでの圧着製造の再現イメージ
自動化される前までの手回し2本ロール式の圧着製造の再現イメージ
その後、洗濯物を絞る手回し式2本ロールの絞り器に挟んで圧着する方法に変わりましたが、1978年に自動製袋機ができるまで、実に13年もの間、1枚1枚手作りをしていました。